📝 この記事はAIを活用して作成し、編集・確認しています。
高校三年生の息子が、レポートをChatGPTに書かせたと言いました。
夜の十時過ぎでした。私が風呂から上がってリビングを通りかかると、息子はソファでスマホをいじっていて、顔も上げずに、そういえばさ、と話し始めました。隠す様子はありませんでした。改まった相談でもなく、友達の話をするついでのような口ぶりでした。
同じようにAIに書かせて出した友達が、先生に呼ばれて怒られたというのです。これ、AIを使って書いただろう、と。
それで私は聞きました。じゃあ、なんでお前は怒られなかったんだ、と。
「友達はAIが書いたのをそのまま出したから。俺は自分の手で直して出したからね」
そして、こう続けました。
「そのまま出したらばれるにきまってるじゃん」
私は、その場ですぐに言葉が出ませんでした。
私の仕事は、コールセンターの業務支援とシステム管理です。オペレーターが使う手順書や回答のひな形を整えたり、その裏側の仕組みを管理したりしています。最近はそこにAIが入ってきました。ここのところ、私の仕事の半分くらいは、AIが出してきた文面を、人がどう確認してからお客様に出すか、という話で占められています。
AIに下書きをさせること自体は、もう議論の対象ではありません。問題はいつも、そのあとです。出てきたものを誰が読んで、どこを直して、誰の責任で世に出すのか。そこが抜けた瞬間に事故が起きます。私は打ち合わせのたびに、同じことを言ってきました。AIの出力は、そのままでは完成品ではない、と。
そして、このブログです。冒頭に毎回、こう書いています。「この記事はAIを活用して作成し、編集・確認しています」。AIに書かせて、私が直して、私の名前で出す。それが私の決めた運用です。
つまり息子は、私が仕事で人に説明し、家ではブログの一行目に掲げているのと、ほとんど同じことを、誰にも教わらずにやっていたわけです。AIの出力は、そのままでは出せない。人の手が入って、初めて出せるものになる。私が何年もかけて言葉にしてきたことを、17歳は一行で言ってのけました。
——と、ここで終われば、気持ちのいい話です。
でも、そうではありません。
息子が手を入れた理由は、AIの出力が未完成だからではないからです。バレるからです。彼が守ろうとしたのは、文章の質ではなく、自分の成績でした。同じ「手で直す」でも、動機がまるで違います。私が仕事で人に求めている確認は、間違ったものをお客様に出さないための確認です。息子の確認は、見つからないための確認です。
そこを指摘すべきだったのかもしれません。動機が違うぞ、と。でも、私が実際に返したのは、「へえ、まあ、そうだよな」という、自分でも情けないくらい中身のない相槌でした。息子はもうスマホに目を戻していて、話はそれで終わりました。何か言うべきだという感覚だけがあって、何を言うべきかが最後まで出てこなかった、というのが正確なところです。
言えなかった理由は、あとになって分かりました。私自身の「編集・確認しています」が、息子のそれより深いと、胸を張って言えなかったからです。
正直に書きます。あの一行を毎回冒頭に置きながら、私の確認がいつも同じ深さだったかというと、そうではありません。AIが出してきた文章を読んで、語尾を整えて、明らかにおかしいところだけ直して、それで出したことがあります。そのとき私が見ていたのは、文章の中身だったのか。それとも、AIが書いたと思われない程度に直せたかどうか、だったのか。後者ではなかったと、言い切れません。息子の「そのまま出したらばれるにきまってるじゃん」は、彼のレポートの話であると同時に、私のブログの話でした。
だから私は、息子に何かを教える立場ではありませんでした。同じ問題を、先に指摘されたほうです。
AIに書かせて、人が直して出す。この運用そのものは、間違っていないと思っています。私は仕事でもそうしていますし、この記事もそうやって作っています。ただ、その「直す」が何のための直しなのかは、AIではなく私が決めることです。バレないための直しなのか、出していいものにするための直しなのか。手を動かしている最中の見た目は、たぶん、ほとんど同じです。
だから、外からは区別がつきません。息子の友達が怒られたのは、動機を見抜かれたからではありません。直っていなかったからです。もし彼が、バレないためだけに、息子と同じ量だけ手を入れていたなら、おそらく誰にも気づかれませんでした。先生にも、私にも。
つまり、この二つを分けられる人間は、一人しかいないということです。書いている本人です。誰も見ていないところで手を止めて、これは何のための直しかと自分に聞く。それ以外に判定する方法がありません。
冒頭の一行も、そういう種類のものです。「編集・確認しています」と書いたところで、私がどこまで確認したかは、読んでいるあなたには確かめようがない。あれは証明ではなく、私が勝手にしている約束です。約束は、破っても誰にも分かりません。
その約束を、この記事ではどれくらい守れたか。
出す前に、下書きを頭から読み直しました。語尾を整えるためではありません。これは何のための直しなのかと、自分に聞くためです。息子に言われるまで、そんな読み方をしたことはありませんでした。
そして、その問いに私がどう答えたかも、この記事からは読み取れません。一行目に書いてある文言は、前の記事と一字も変わっていないからです。

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